筋トレはあなたを根本的に変えられる?【筋トレをするべき理由】
こんにちは!小南です!
今回のテーマは
筋トレであなたを根本的に変えられるか?です。
答えは、
変えられます。
理由として3つ挙げられます。
- 継続する力がつく。
- 見た目がカッコよくなる(綺麗になる)。
- 自尊心が高める。
- 筋トレは継続する力をつけやすいです。なぜなら、数値で管理しやすく、続けていくと見た目変化が現れやすいので、モチベーションが常に持てます。この快感を得ると、もはや終わりなんてありません。あなたはドップリハマること間違いありません。
- 継続する力を手に入れたあなたは、筋トレを続けることで男性は男性的な体や思考に手に入ります。女性は綺麗な体のラインを手に入れることができます。筋トレを続けることで、確実に筋肉が刺激され、ボディラインは美しくなっていくので次第にモテるようになります。しかし、「ファジーカーやボディビルダーのような体にはなりたくない」、と思うかも知れませんが、そんな簡単になれません。安心してください。1年間に筋肉が増える量なんてたかが知れてます。大体徹底した食事を摂取して、サプリメントを摂取した場合でも1年目で8kg、2年目以降は2~3kg増えれば良いところなので、そんなに簡単な道だとは思わないことですね。しかし、正しく続けることで確実にかっこいい体になれます。
- 筋トレを続けてることで、自尊心が高まります。なぜかというと、筋トレを1年間続けられる人は世の中で0.3%(1000人に1人)しかいません。堀江貴文さんらがよく取り上げている、「100万分の1の存在になれ!」という言葉があります。こうなることで世の中にとってレアな存在になれます。この筋トレを続けさえすれば、1/1000を獲得できるので、残るは1/1000です。堀江さんは「100人の中で1番になることを3つ見つけろ」と言っています。こうした自分にとってのタグを持つことであなた自身の時価総額を引き上げることができます。筋トレを続けてこれからの時代を生き残るためのあなたの強さになるはずです。筆者は筋トレ歴は高校1年生から現在(2020年6月30日)までの7年間です。これはもしかしたら1万人に1人の逸材までなれているかもしれません。筋トレをしてからは自分に根拠のないような自信が常に漲っていて、どんなことでも根気強く、工夫を凝らししていけば達成できると思っています。これも筋トレから得た成果です。
【例】
筆者は幼少期から弱気でした。しかし、筆者を変えたのが『筋トレ』です。これは初めての成功体験で、高校生の時に嫌味な先輩がいて、その人をどうしても力(喧嘩)でねじ伏せたい、という思いから始めたのがきっかけでした。おかげで高校1年生の秋にはチームで1番のベンチプレス重量(80kg)を扱えるようになり、バッティングでもパワーの強さを発揮して4番バッターを務めることもできました。また、筋トレで筋肉がついたことにより、何よりも自信になりました。
ここまで読んでいただいて感じたかと思いますが、筋トレは1日、2日じゃつきません。PDCAサイクルを回して、何ヶ月もかけて成長していくもので、継続が大切です。
まずは3ヶ月、週3回以上を継続してみてください。
そこでやっと変化が始まります。※筆者は、現段階では1年に2~3kg増えています。
ほとんどの人が続けられない事をあなたが継続できたら、自分に自信が湧いてきませんか?
そういったポジティブなマインドを持てば、できないと思われていたことができたり、革新的な何かを成し遂げることができるかもしれません。
「チャレンジせずして成功はあり得ません。」
沢山失敗して、次のチャレンジをしていくべきだと思います。
筋トレをして様々なことをチャレンジできるような思考を手に入れれば、あなたの人生はより豊かに傾くでしょう。
この投稿をもって、
筋トレはあなたの外見だけではなく、内面もより良い方向に進めてくれるものである
ことを記述させていただいた。
あらためて、読者の方には筋トレをおすすめさせていただきたい。
それと同時に、注意勧告です。
筋トレは知識のないまま行うと怪我に繋がる可能性があります。
筋トレは科学的根拠に基づいて進めていくことをお勧めします。
筆者も信頼できる参考文献などをもとに皆さまに紹介していきたいと思います。
今回も最後まで閲覧ありがとうございます。またの投稿をお楽しみに。
小南 佑太
筆者の自己紹介【小南佑太とは?】野球編
こんにちは!
小南佑太です!
以前書いた自己紹介(筆者の自己紹介【小南佑太とは?】 - 小南佑太のブログ)でとてもボリュームが出てしまった野球の話です。
気になる人はこちらをご覧下さい。
【野球編】
野球を始めたきっかけは近所の男の子たちはみんな野球に興味があり、その子たちと一緒にいたいが為に入部を決心しました。
実を言うと親には猛反対されていました。理由は簡単、親の方が体力が必要から。
筆者の祖父は生前小さい頃から筆者に野球をさせたがっていたそうですが、筆者は一向にサッカーボールで1人遊びをしていたそうです。
しかし、近所の幼馴染みの影響ですぐ考えが変わったみたいですね。
野球は小学2年生の夏から初めて、同年代では1番はじめに入部したので後に『キャプテン』を任されることになりました。
今思うとよくキャプテンの仕事をこなせていたのだなと感心します。何より両親が大変だったと思いますが。
その後、それなりの体格とそれなりの技術があると自覚の上、中学へ上がる際に選択に迫られました。
この時筆者が決断した決め手がまた酷いんです。それが『携帯電話』です。
ボーイズリーグのチームのグラウンドが自転車で40分程度掛かるところにあるため、親が心配して持たせてくれるという良心を踏みにじるような行為をしました。②を選択しました。
筆者はこのチームでは『負け犬』に位置するようになり、試合に出る機会が極端に減りました。
でも、努力は一向に止めませんでした。練習終了後はポール間を1人で何往復もしたり、休みの日は陸上部に所属してトレーニングに取り組んでいました。
しかし、その時していたのは基礎体力の向上ばかりで、実際のプレーには生きることできてなかったと今では思います。このストイックさが今の筋トレに生きていることは間違いありません。
筆者はこのようなどん底から少し毛が生えるようなことがありました。それは『差別化』です。
当時の中学生でアンダースローを実用している投手は少なく、特殊な技術や体力も必要になる為オーバースローで戦える投手はわざわざアンダースローに変えません。そこをチャンスと思い、続けていたらコーチの目に止まりました。
その後、中継ぎなどで登板する機会が増えました。残念ながら目素晴らしい実績は残せませんでしたが、自分を試せるいい機会をくれたSコーチには頭が上がりません。ありがとうございました。
高校生に上がると実は野球を辞めたかったのですが、選択の余地がなく続けることになりました。
進んだ高校は偏差値も低く、進学するための高校ではありませんでした。野球のレベルも中学の時よりだいぶ低くなったので当時はとても見下していたような記憶があります。
結局そのような悪い考えを持っていたせいで高校野球人生はいい方向に進むわけもありまけん。筆者は最後の大会まで1年生の秋以降はベンチ入りすらままならない負け犬として高校野球生活は幕を閉じました。
反強制的だったものの、とても親身にサポートしてくれた両親には頭が上がらないです。ありがとうございました。
結局野球は大学1年生のときに、怪我、そしてイップスになり、自ら幕を下ろしました。(カッコよく言ってるけど辞めた辞めただけです。)
実際は大学で4年間野球を続けるよりも大きなものを得れたと思います。
ずっと気づかないフリをしていたけど、筆者は集団行動が大の苦手です。
今でも企業で行う軍隊のような挨拶や企業理念の斉唱は虫酸が走るほど避けたいことです。
自主的なことはとても好きなのですが、やらされるのが苦手なのです。やらされている時は自分の時間ではないかのような感覚に陥るのです。
筆者は今年入社で本当に良かったと思うことがあり、それは集合研修が新型コロナウイルスの影響でできなくなったことです。
もしかしたら、集合研修をしていたら今のモチベーション以上のストレスで仕事になっていない可能性もあり得ます。
いろんな人と繋がれる機会を失ったのは残念ですが、筆者にとっては有難い結果でした。
【野球を通して得た学び】
筆者は『野球』を通じて学んだことが3つあります。
- チームプレーとはいっても、個人が活躍してこそ成り立っている現実があること。そして、みんなが表舞台で活躍することは不可能だということ。筆者は監督に干されていたため、高校野球人生の後半はベンチにも入れずスタンドでの観戦、応援がほとんどでした。その経験もあり、裏方の重要性がとてもよくわかるようになりました。本当にいい経験をさせてもらいました。ありがとうございました。
- 監督と経営者は重なる部分があることに気づきました。筆者は大学で経営を学んでいたのですが、監督にもマネジメントする力はとても重要です。監督にはチームの状況に応じてスターティングメンバーの最適化やPCDAサイクルを回して勝てるチームにする必要があります。今は野球は観戦しませんが、そういった視点で見れるようになりました。
- 信頼の重要性を知ったことです。野球は監督に好かれないといけない、という風習はずっと耳にしますがそれもそうで、監督自身が自分のチームを所有物のように思っているから、反乱分子は捨てたいわけです。しかしながら、監督も人間です。人に好かれたい欲は誰しもあり、自分に興味を持ってくれる人やそうみせるテクニックで好きにさせる方法はあります。筆者はそれを怠り、監督の意見を聞かず、自分を押し通そうとしたからこういう結果になりました。この件のおかげで、今後はもう少し我儘な部分が弱くなればいいのですが。とにかく、人に好かれるには素直になり、好意を向けてあげることがとても重要なので、是非本心からそういった行動をできるようになりたいものです。
筆者が野球に対してどう思っているかはさておき、真剣に野球をしている人に対しては伊達に11年間野球をしてきたものですから、活かせる情報はたくさんあります。これは社会人生活にも活かせるはずなので要チェックですね。
濃い野球人生だったので、まとめて書いてもこれくらいのボリュームになりました。
野球に関する筆者の自己紹介は以上とさせていただきます。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。またの投稿をお楽しみにしておいてください。
小南 佑太
筆者の自己紹介【小南佑太とは?】
はじめまして、このブログの筆者の
小南 佑太 と申します。
【はじめに】
筆者はこのブログを始めるまでにも沢山のブログを試し、自身の趣味や生活を匿名で発信してきました。
しかしながら、名前があるのに名前を出さずに発信し続けるのも勿体ないと思う気持ちから、このブログでは本名を出して世の中に投稿しようと思う。
【筆者の経歴】
それから、『和歌山市』というところで大学を卒業するまでの22年間育ててもらいました。
和歌山市は和歌山の中では様々なインフラが整っていて、尚且つ自然豊かな街でとても気に入っています。
青い海、緑生茂る山、そこには大きな溜池や川があり、筆者は幼い時から釣りに励んでいました。
今では海へ行くには少し遠いので、波の音が恋しいです。
筆者は学生時代は『スポーツマン』でした。
球技に関してはそこまでレベルは高くなかったのですが、身体能力にはそこそこ自信がありました。
もちろん、体力テストは『A』でした。
筆者は生まれて数ヶ月から母が働いていた『スイミングスクール』へ10年間通い続けていました。
しかし、気づいた時にはスイミングに行くことに怯えてました。
実はこのスクールのバスで近所の年上の人にいじめられてたのと、先生がとてもスパルタで怖かったためです。
何度も落ちましたが、なんとか修了検定に合格して辞めさせてもらいました。
これらのおかげで四種目を泳ぐことができます。
小学校へ上がると『いじめ』にあいました。
そして、筆者は強くなりたいと思い、少林寺拳法を習いました。
しかし、なんといじめの首謀者がそこに通っていました。
なんだかんだそこで仲良くなり、ことは過ぎ去りましたが。
それから、強くなる意味も見出せず、次に始めたのは『野球』でした。
きっかけは近所の男の子たちはみんな野球が大好きでした。
そして、そんなに興味のなかった筆者は、その子たちと一緒にいたいが為に入部を決心しました。
筆者の野球での体験談はこちら↓
筆者の自己紹介【小南佑太とは?】野球編 - 小南佑太のブログ
その後、11年間野球を続け、肩の怪我、イップスが酷くなり野球を辞めることを決意しました。
大学2年生の春、新しく『ゴルフ部』に入ることにしました。
そこで知り合う仲間たちは今まででは全く違う世界観を持っていたり、野球部のような暑苦しさではなく紳士さを持っていました。
ゴルフ部ではかなり境遇の違いを知ることができとてもいい経験になりました。
筆者はゴルフ部では『会計』を務め、とても良くしてくれたTさんのおかげでなんとか最後まで仕事をすることができました。本当にありがとうございました。
高校時代は工業高校で産業デザイン科というところでものづくりについての勉強をして、就職する予定でした。
しかし、高校野球で燃え尽きることができなかったので急遽進路の変更を進学をしようと決めました。
その後、スポーツ推薦を辞退したりのいざこざを乗り越え、その時通える中でベストな大学へ進学することになりました。(その高校からの進学率は僅か10%程度だったと思います。)
大学時代は、『経営』を学びました。
正直今では読書をしていれば学べることがほとんどだなという認識ではあります。
学びというのは所詮先人の伝記みたいなものでありますから、当然ちゃ当然なのですが。
この大学へ行く通学の時間が片道大体1時間半掛かるのだが、この4年間の間にその時間を有効に使う術を身についた。
おかげで今でも読書が習慣になり仕事や生活で役立っています。(次回本の紹介などもしていきたいと思う。)
また、高校時代の友達のIの影響か、大学は入ってからは『旅』が趣味になりました。
今の習慣の英語の勉強のきっかけにもなってます。
ちなみに、大学中の4年間で7カ国というそんなに多くはないですが行くことができました。
旅で得られるモノの大きさは計り知れません。
プライスレスです。
これからも就職先の冷たい視線を振り払い、なんとしてでも旅は続けます。
公に宣言させていただきたい。(旅はネタになるからいい。)
また、筆者は幼少期から弱気だったのですが、自分を変えたものがもう一つあります。
それが『筋トレ』です。
これがないと、今の筆者はありえないとおもいます。
おかげで筆者は超自信家です。
大学卒業後はアジアでも大手の『小売業』へ就職しました。
配属先は『グロサリー』という常温で保存できる加工食品全般を扱うカテゴリーです。
筆者はここでやりがいをもって日々働いています。
以上が筆者の経歴となります。
【これから】
筆者は『食』に興味があり、衣食住の『食』こそが、筆者が世の中に提供できる価値だと考えました。
筆者はこれを武器にたくさんの人を幸せにしたい。
目指すところが独立なんだったら最初から『独立』すればいいやん?って思われるかもしれませんが、筆者が『就職』を選択した理由は3つあります。
一つは、単に何度でも『失敗』できるから。
しかしながら何度も同じ失敗をするつもりはありません。
この意味は、たくさんのチャレンジを『企業のお金』を使い、筆者自身の成功事例を増やしていこうと考えました。
二つ目は、たくさんの企業の人たちと繋がれる『場』としても活用していきます。
三つ目が、何年もかけて築いてきた企業独自の『ノウハウ』を学ぶこと。
この3つのメリットを考え、筆者はこの企業に就きました。
小売業界を選択した理由は、消費者に1番近いところで商売の勉強をしたいからです。
筆者の計画では、川下から川上(小売→商社→生産)にかけて転職していく予定です。
今現在、できることはそんなに多くはないですが、1日でも早くできることを増やして、上司たちの仕事を奪い、筆者自身のスキルアップしたいです。
そして、バイヤーとして世の中に愛されるものを愛されるように提供するような仕事をするつもりだ。
最終的には筆者自身が川上から川下(生産-運輸-小売・飲食)までを営みます。オーガニック農産物やワイン、ストレスフリーに育った畜産などにこだわった商品をお客さまに届けることが目的です。
この夢を掲げながら、日々前進し筆者自身が社会にとって有意義な存在になれるように努力を続けます。
【このブログで取り上げる内容】
筆者は主に『仕事』『筋トレ』『食』『旅』について取り上げる。
筆者は自身の体験や参考文献を基に有意義な情報を遠慮なく発信する。
これらは全てあなたの人生を豊かにするための発信である。是非参考にしていただきたい。
以上が筆者の自己紹介、そしてこのブログでこれから得られる情報である。
その情報の取捨選択はあなたに任せる。筆者自身そうやって選びながら情報は拾ってきた。
あなたの人生や生活がより良いものになることを心より願っております。
とても長い記事を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。これからの投稿をお楽しみください。
小南 佑太